オークランド・アスレチックスへと加入した、 松井秀喜選手の活躍を追っていくページです。MLB2011シーズンが開幕し、松井選手はどのような活躍を見せてくれるでしょうか?

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  7. #55 松井秀喜
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松井秀喜 メジャーリーグでの成績一覧
SEASON TEAM G AB R H 2B 3B HR RBl TB BB SO SB CS OBP SLG AVG
2003年 NYY 163 623 82 179 42 1 16 106 271 63 86 2 2 .353 .435 .287
2004年 NYY 162 584 109 174 34 2 31 108 305 88 103 3 0 .390 .522 .298
2005年 NYY 162 629 108 192 45 3 23 116 312 78 78 2 2 .367 .496 .305
2006年 NYY 51 172 32 52 9 0 8 29 85 23 23 1 0 .393 .494 .302
2007年 NYY 143 547 100 156 28 4 25 103 267 73 73 4 0 .367 .488 .285
2008年 NYY 93 337 43 99 17 0 9 45 143 38 47 0 1 .370 .424 .294
2009年 NYY 142 456 62 125 21 1 28 90 232 64 75 0 7 .367 .400

.274

2010年 LAA 145 482 55 132 24 1 21 84 221 67 98 0 1 .361 .459 .274
2011年 OAK 141 517 58 130 28 0 12 72 194 56 84 1 1 0.321 .375 .251

アスレチックス松井秀喜グッズ

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松井秀喜 | プロフィール

名前
松井 秀喜
愛称
ゴジラ
国籍
日本
生年月日
1974年6月12日
出身地
石川県能美郡根上町
身長
188cm
体重
99.8kg
在籍チーム
読売ジャイアンツ > ニューヨーク・ヤンキース > ロサンゼルス・エンゼルス > オークランド・アスレチックス
ポジション
指名打者 外野
背番号
55
ドラフト
1992年 ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団

松井秀喜 | プレイスタイル

■打撃
読売ジャイアンツに在籍した日本プロ野球時代は、2002年にシーズン50本塁打を達成、10年間合計で332本塁打を放ち、球界を代表するホームランバッターとして名を馳せた。
アメリカ メジャーリーグのニューヨーク・ヤンキースへ移籍後も名門ヤンキースの主力として活躍、1年目はホームランこそ16本に留まったが、その飛距離はメジャー級ということを十分に証明した。 優れたバッティング技術を持つ松井だが、メジャー移籍後、対応するのに時間を要したのが、打者の手元で微妙に変化しながら外角に落ちるムービング・ファストボールである。このボールに苦労した松井は内野ゴロを連発し大スランプに陥る。このスランプをきっかけに松井はバッティングのスタイルを徐々にMLB仕様に変えていき、メジャーに適応していった。 前の方で球を捉えるスタイルから、球を引きつけて打つスタイルに変えた松井は、外角の球へは無理なスイングはしないと割り切ると共に、左方向へ強く打ち返すイメージを持つことでスランプを克服。打球に飛距離が出にくくなったものの、勝負強いバッターとして、その地位を確立していった。
松井秀喜の勝負強さは対左投手も苦にしないバッティングに表れている。 MLB1年目の2003年は、対右投手と対左投手の打率は共に.287を記録。、2004年こそ左投手に対して.265、6本塁打と低調に終わったが、 翌2005年は対右投手が.281、15本塁打に対し、対左投手では.354、8本塁打と打ち込んだ。 ワールドシリーズMVPを獲得した2009年シーズンも左投手から本塁打を量産し、左バッターとしてはミルウォーキー・ブリュワーズのプリンス・フィルダーと並んで両リーグ最多タイの13本塁打を左投手から放っている。

■守備
守備位置は高校時代までは主に三塁手であったが、プロ入り後長嶋監督の意向により外野手へコンバートされた。2000年からは3年連続でゴールデングラブ賞を獲得した。
ヤンキース移籍後はこれまで守っていたセンターにバーニー・ウィリアムスがいたため、主にレフトとして起用されるようになった。 守備力に関しては、守備範囲こそあまり広くないが、捕球後のスローイングに定評がある。また、クローズアップされることは少ないが強肩の持ち主であり、補殺数はア・リーグのレフトの中でも多い方である。また、本人は球際の強さにも自信を持っている。また際どい球でも積極的に捕りにいく守備スタイルも特徴的である。その積極的な守備が災いし、浅めのフライを滑り込んでキャッチしようとした際にグラブが芝生にひっかかり、左手首を故障するアクシデントも起きている。
ヤンキース監督がトーリ監督から守備力を重視するジラルディ監督に交代してからは、膝に不安のある松井に代わって、ジョニー・デーモンがレフトのレギュラーで起用されている。それに伴い、松井は指名打者での出場が多くなっり、2009シーズンは一度も守備に就くことなくシーズンを終えた。

■走塁
プロ入り時には100m11秒台の俊足を買われて外野手にコンバートされたこともあり、元々走塁には定評のある選手だった。
近年は相次ぐ膝の故障により、満足な走塁を行うことが難しくなっているが、
そのような膝の状況で時折見せる松井秀喜の激走は、チームを盛り上げ勝利への執念を注入する不思議な輝きを放っている。

松井秀喜 | 星稜高校時代

当初は自宅から近く、兄も通っていた公立の小松明峰高校に進学するつもりだった松井であったが、のちに入学する星稜高校の山下智茂監督からの熱烈な勧誘や、中学野球部の指導者に薦められて星稜に進学することに決めた。 投手として入部したが、すぐに野手に転向。一塁手を経て三塁手に転向する。1年生から4番打者を務めたが、夏の甲子園では3打数0安打でチームは初戦で敗退した。
高校2年夏の甲子園では規格外のパワーと才能の片鱗を見せ注目を浴びる存在となった。 上級生が引退後の新チームでは、松井の統率力や影響力を高く評価され、キャプテンに指名される。 高校3年春のセンバツでは開幕試合の初戦、宮古戦で2打席連続HR、1試合7打点、2試合連続本塁打と、当時の大会記録をマークした。 勢いに乗る2回戦では堀越のエース山本幸正から膝元に切れ込む鋭いカーブを本塁打したのを長嶋茂雄が見ていたのがきっかけで、巨人が獲得に動いたという話が有名である。しかし、準々決勝の天理戦では本塁打は出ず、自らのエラーもありチームは敗退した。 夏の甲子園は2回戦の対明徳義塾戦で敗退。この試合で松井が受けた5打席連続敬遠は、社会問題にまで発展した。

松井秀喜 | 読売ジャイアインツでの活躍

■1993年【年俸:840万円】ドラフト1位でジャイアンツに入団した松井はオープン戦で力を発揮できず、二軍落ち宣告される。5月に1軍デビューを果たし翌日にプロ初HRを放つ。
■1994年【年俸:2100万円】2年目はシーズン20本塁打を放つなどチームのリーグ制覇に貢献。日本シリーズも制して日本一を味わった。
■1995年【年俸:6200万円】3年目はシーズン22本塁打を放ち、初のベストナインを受賞。
■1996年【年俸:8000万円】4年目は自身初の開幕4番スタート。夏場には7月、8月と2か月連続で月間MVPを獲得するなど、大逆転優勝に大きく貢献。初のセ・リーグMVPを受賞した。
■1997年【年俸:1億6000万円】5年目は37本塁打を放ったが本塁打王争いに1本差で敗れ、史上初の2年連続1本差でタイトルを逃すことになった。
■1998年【年俸:2億2000万円】6年目は故障やスランプにも悩まされたが、最終的には34本塁打、100打点で自身初となる本塁打王、打点王、最高出塁率のタイトルを獲得した。
■1999年【年俸:2億8000万円】7年目はケガの影響が響いてロベルト・ペタジーニと2本差で本塁打王を逃すことになるが自己最高の42本塁打を記録。
■2000年【年俸:3億5000万円】8年目は本塁打王、打点王、最高出塁率、シーズンMVP、日本シリーズMVP、ゴールデングラブ賞を受賞し、巨人の日本一の立役者となった。
■2001年【年俸:5億0000万円】9年目はプロ1000試合目の出場で通算250本塁打を達成。
■2002年【年俸:6億1000万円】10年目は前年同様打球が上がらず76試合で18本塁打だったが、後半戦は64試合で32本塁打という驚異のペースで打ち続け、自己最多、史上8人目の50本塁打を記録する。この年は打率、本塁打、出塁率では自己最高の成績で、本塁打王、打点王、最高出塁率、シーズンMVPを獲得した。

松井秀喜 日本プロ野球での成績一覧
SEASON G AB R H 2B 3B HR RBl TB BB SO SB CS OBP SLG AVG
1993年 57 203 27 41 9 0 11 27 83 17 50 1 0 .296 .451 .223
1994年 130 569 70 148 23 4 20 66 239 57 101 6 3 .368 .475 .294
1995年 131 569 76 142 31 1 22 80 241 62 93 9 7 .363 .481 .283
1996年 130 569 97 153 34 1 38 99 303 71 98 7 2 .401 .622 .314
1997年 135 596 93 144 18 0 37 103 273 100 84 9 3 .419 .564 .298
1998年 135 603 103 142 24 3 34 95 274 104 101 3 5 .421 .563 .292
1999年 135 573 100 143 24 2 42 108 297 93 99 0 4 .416 .631 .304
2000年 135 590 116 150 32 1 42 104 310 106 108 5 2 .438 .654 .316
2001年 140 611 107 60 23 3 36 107 297 120 96 3 3 .463 .617 .333
2002年 140 623 112 168 27 1 50 106 346 114 104 3 4 .461 .692 .334

松井秀喜 | ニューヨーク・ヤンキースでの活躍

■2003年【年俸:$6,000,000 約5億4000万】巨人からFA権を行使してニューヨーク・ヤンキーへの入団決定。MLBオールスターに初出場、ワールドシリーズでは日本人初HRを記録。
■2004年【年俸:$7,000,000 約6億3000万】2年連続オールスターに出場。筋力アップの影響でシーズン31HRを記録 プレーオフでも打撃は絶好調だったがチームはWS進出を逃す。
■2005年【年俸:$8,000,000 約7億2000万】3年連続MLB全試合出場。 メジャーでは自己最高となる打率.305、116打点を記録。 4年総額5,200万ドルでヤンキースと契約を延長。
■2006年【年俸:$13,000,000 約11億7000万】左手首の骨折でシーズンの大半を欠場する。チームは9年連続で地区優勝するも、2年連続でディビジョンシリーズ敗退となった。
■2007年【年俸:$13,000,000 約11億7000万】日米通算2000本安打を達成。 チームは3年連続で地区シリーズ敗退、松井も4戦で打率.182(11打数2安打)に終わった。

■2008年【年俸:$13,000,000 約11億7000万】日本人女性とニューヨーク市内で挙式。 シーズンは左膝の故障により 打撃は低迷 。4年連続プレーオフ進出とはならなかった。
■2009年【年俸:$13,000,000 約11億7000万】指名打者での年間最多HRの球団記録を更新。一時はMLB2度目の30発超えも期待されたが、惜しくも届かなかった。
それでも、メジャー移籍後では2番目に多い28本塁打を放ち、チーム3位の90打点を叩き出す勝負強さでヤンキースを3年ぶりの地区優勝に貢献した。
ポストシーズンでは大舞台での勝負強さを披露、ワールドシリーズでも大活躍!13打数8安打3本塁打8打点を記録し、 9年ぶりの世界一に貢献し見事MVPに選出された。

松井秀喜 | エンゼルスへ移籍

ヤンキースとの契約満了に伴って、FAを申請。ヤンキースのブライアン・キャッシュマンGMは松井を守備復帰させる方針がないことを断言。
結局、守備復帰を熱望する松井秀喜へはオファーはなかった。その後レッドソックス、マリナーズ、メッツなど10球団ほどのチームが松井に興味を示したが、
守備復帰の機会を確約してくれたことが決め手となり、ロサンゼルス・エンゼルスと推定年俸600万ドルで単年契約を結んだ。
この契約によって松井はエンゼルスでは、初めての日本人野手となり、背番号は、読売ジャイアンツ時代及びニューヨーク・ヤンキース時代と同じ「55」に決定している。
MLB 2010シーズン エンゼルスのスプリングキャンプでは、報道陣が倍増するなど早くも松井効果をチームにもたらしている。




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