| 1975年6月7日アン・アイバーソン(15歳)とアレン・ブロートン(16歳)の間に生まれる。
アレンという名前は父親の名前から取ってつけたもの。
子供の頃はフットボールに夢中になっていたが、10歳ごろに母に無理やりバスケの練習に行かされたのがきっかけとなりバスケットにも夢中になる。
高校入学後、バスケットボールでは当然トッププレイヤーであったが、アメリカンフットボールでも名クォーターバックとして名が知れていた。高校卒業後ワシントンD.C.のジョージタウン大学に入学。同大学はアメフトは盛んではなかったので、バスケットボールを選択。ジョージタウン大学が所属するカンファレンス"ビッグイースト"は、アイバーソンがいた時代は、レイ・アレンのいるコネチカット、ケリー・キトルズのいるビラノバなどがひしめきもっともレベルが高い地区であった為、トーナメントを勝ちあがることはできなかった。個人的にはビッグ・イーストのルーキー・オブ・ザ・イヤー、2年連続のディフェンシブ・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーを獲得している。
1996年のNBAドラフトでフィラデルフィア・セブンティシクサーズに一巡目第1位指名され入団。ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。オール・ルーキー・ファーストチームにも選出された。アイバーソンのベストシーズンは2001年。リーグの得点王となりNBAのMVPを受賞。同年惜しくもロサンゼルス レイカーズに敗れはしたが、NBAファイナルに進出している。当時のコーチ、ラリー・ブラウンを「彼に出会わなければ今の自分は無い。」と、たびたび発言し、友好な師弟関係を築いていたかのように見えたが、遅刻や練習を休むのが多々あったアイバーソンとトラブルも多くあった。現在はラリー・ブラウンもチームを去り、すべてのNBA選手の夢、”チャンピオンリング”獲得を目指し、コートを縦横無尽に走り回っている。
バスケットボール以外では、ラッパーとして活動。最初にだしたアルバムは過激な歌詞を含んでいることが地元のフィラデルフィアで問題になり、自主的に発売を見合わせた。 |